「確率」のはなし
いま、「人生教習所」という本を読んでいます。
まだ読み始めたばかりですが・・・
その本に「確率」のことが、少し、書かれていました。
私たちは「努力は必ず報われる」と教わってきました。
しかし、果たしてそうなのだろうか?と疑問に感じている方も多いはずです。
「成功の確率」について、こんなことが書かれていました。
・ある事柄に対して努力すればするほど、その成功の確率は上がる。
・どんなに努力をしても、失敗の確率は残っている。
・一般的な仕事の世界では、ちゃんとその方法論を意識しつつ努力するほうがいいように思います。目的にいたるまでの過程を、ないしはそのために上がっていく階段を、自分なりに明確にしておくのです。そして失敗の可能性を一つ一つ消しながら、その階段を上がっていく。これが「成功の確率」を上げる正しい努力の仕方のように思われます。
・世の中の仕事の失敗、成功は、そのすべてが確立だ。
私は、将来的には、一般就労かフリーランスかで生活していきたいという希望があります。しかし、具体的に、どうしていけばそれが叶うのか。しっかりと考えたことはなかったように思います。
目標の達成のために、いま、何をすればいいのか。そこをしっかりとかんがえないことには、前に進めないし、成功も失敗も何もないと思いました。
一歩一歩、階段を上がっていくこと。
それが、希望、夢、願いを叶えるためには必要だと思います。
また、こんなことも書かれていました。
・本当はどんなに努力をしても駄目になることはある。それでもあることが行かせる「確率」を上げるために~(中略)~正しい方法での努力を惜しんではいけないということだと思います。
若いころの私は、何をどう頑張ったらいいのか(努力したらいいのか)が分かっていなかったように思います。だからこそ、拗ねてみたり、怒ってみたり、泣いてみたりして、周りの人の気を引こうとしていたのです。
「正しい方法での努力」がどんなものか、今の私なら、あの頃の私と比べたら、少しは分かるようになったはずです。でも、いまだに、中途半端な頑張り方、努力の仕方の癖が抜けません。それは、先に書いたように、「具体的」な行動を思い浮かべることがでいていないからだと感じます。
いま、できること。
少し頑張れば、できるようになること。
必要になってくる知識や経験はなにか。
知識や経験を得るためにはどうするか。
それらを考え、実行していけるかどうか。
きっと、「成功の確率」をあげるために、いまの私に必要なことは、それだと痛感しました。
さあ。
ぼちぼちと、将来に向けて、動き出しますかね。